空の蒼さと山の碧と
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皆様、長い間本当にありがとうございました。m(_ _)m  (このブログは閉鎖しています。)遊実
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エマとルーシーについて
二人について考えてみました。



1.二人の比較
エマとルーシーの対比はジキルとハイド同様、エマ=善、ルーシー=悪と規定されるものではありませんでした。
エマは確かに最初から最後まで善であり、愛を体現しているのに対し、ルーシーは娼婦という境遇のため心が荒んでいるように見せていますが、心の奥底では純粋な気持ち、愛を求める気持ちが残っています。

2.エマについて
エマは誰にも理解されないジキルを理解し、愛していこうとしています。エマが本当にジキルを理解していたのかはともかく、ジキルの言葉を信じ続けたことによって、ジキルは自分を支え続けられました。ただその反面、ジキルの己を恃む(たのむ)心を増長させたのかも知れません。
エマの凄さはジキルがハイドになってもジキルとしてしか見なかったということだと思います。ハイドを見るまで信じ続けることは出来ても、自分の結婚式の最中にハイドに変わるジキルを見て、最後までジキルを愛しジキルが元に戻ることを信じ続けた強さは彼女が偽善者ではなく、愛に生きた強さを持つ女性だということだと思います。

3.ルーシーについて
ルーシーはジキルと出会うことによって、人を愛する気持ちを取り戻し、ジキルに惹かれていきます。身分が違い、ジキル自身はエマを愛しているのでルーシーに「友人として」と理性では距離を取りますが、彼もどこか心惹かれるものをルーシーに感じたのでしょう。その想いはハイドになった時に醜悪な形で現れます。
ハイドはジキルが知らない間にルーシーの元に行き、暴力的な方法でルーシーを我がものにします。それに傷つきジキルの元を訪れるルーシーの心には、同情から愛を受けたい気持ちがあったでしょうし、ジキルにも可哀想なルーシーが愛しかったのだと思います。しかし、ルーシーとハイドの関係は一方的な関係ではなかったことが分かります。
ハイドはルーシーの元を訪ね、「おまえの心は分かっている、俺に惹かれていることを」ということを告げ、ルーシーは苦しそうな、しかし官能的な表情でそれに応えます。ルーシー自身、ジキルの純粋な愛情を求めている自分こそが自分の本来の姿だと思っていたはずですが、悪の権化であり、自分を傷つけ嬲り喜ぶハイドに体が応えてしまう矛盾・・・。それは愛なのか、娼婦として生きてきた習い性なのか、自分自身が分からないけれども悔しさだけは残ったのだと思います。
最後ジキルが友人を介し、ルーシーに手紙を渡した時、ルーシーは完全に純粋なる愛に生きようと心を決めました。その最後の歌は美しく、清らかで、娼婦の境遇からルーシー自身が脱け出そうと希望の一歩を示した瞬間だったと思います。
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by yumi-omma | 2006-03-23 11:26 | チョ・スンウ