空の蒼さと山の碧と
studykr.exblog.jp
皆様、長い間本当にありがとうございました。m(_ _)m  (このブログは閉鎖しています。)遊実
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
☆Message☆
画像は後日すべて削除しますのでご了承下さい。

今後遊実と連絡を取りたい方はこちらへどうぞ。
連絡帳

碧の小部屋~チョン・ウソンファンブログ(別館・閉鎖)
カテゴリ
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
「ジキルとハイド」が表現しているもの
長いです。(笑)



「ジキルとハイド」は初めて見ました。事前にネットで簡単なストーリーとスンウ君インタビューを読み、当日パンフのあらすじやセリフを読んで臨みましたが、字幕があったおかげで内容は理解できました。
「ジキルとハイド」が表現しているもの、それはスンウ君の来日インタビューに端的に表現されていますので、引用させて頂きます。

「ジキルは決して善ではなく、逆にハイドは純粋に悪ではないということです。ジキルという人間の弱くてどうしようもない感情が大きくなることでハイドというもうひとりの人間になったのだと思うのですが、そういう部分を繊細に表してみたいと思っています。また、この作品は観客の全ての共感を得なければならないものだと思っていますので、倒れていくハイドを見てミジメだ、悲惨だという思う気持ちと同時に、観客も今までの自分自身の生き様を振り返ってもう一度考えてくれればいいなと思いますし、その部分に重点を置き、演技をしようと思っています。」Cinem@rtより

見る前にはなんとなくしか理解できていなかった彼のジキルとハイド像でしたが、見て非常にはっきりと理解でき、さらに理解出来たことに驚きを禁じ得ませんでした。非常に深い人間洞察の作品を余すところなく表現しきった彼が若干25歳だということは、役者を年齢で判断してはいけないと思わせます。

「ジキルとハイド」でハイドがジキルを乗っ取り、高らかにその存在を顕わにした時と最初の殺人を犯した時、劇場全体をハイドの悪が支配したように感じ、私の全身は激しく震え、涙を流しつつ恐怖に耐えなければなりませんでした。激しく迫り来る恐怖の源について考えてみると、それはハイドの外見や言葉、行動が恐ろしいということではないと感じたのです。
ハイドの、「悪」が肥大化した姿に、醜悪さや恐れを感じたこともありますが、人間誰しもが持っている心の闇の部分を人格という形をもって見せつけ、つきつけられたための恐怖ではないかと思いました。
人は誰しも意識するしないに関わらず、心の中に暗い部分、隠しておきたい想念などがあります。
理性や善や美を志向する心の別の面によって、人はそれを抑え込み生きています。そして犯罪者と自分には一線が引かれていると思い生きていますが、それは違い、悪は己の中に常に潜み息づき、表面に出てくる機会を狙っているのではないかと思わされました。
ですからハイドに感じた恐怖は自分への恐怖であり、人間への恐怖だったのだと思います。それだけに恐怖の源はいつもは目をつぶっている自分自身の闇をえぐり出された怖さだったのではないかと感じました。

ジキルとハイドの関係は、コインの表と裏のようにはっきりと分かれたものではなく、ジキルの弱さがハイドを生み、ハイドの中には生の哀しみがあります。
ジキルは医師として病気を治すための新薬を開発しましたが、それに拘泥してしまう自己中心的な部分や、エマの愛に甘える弱さがありました。自分を犠牲にして治験対象にしようとした崇高な精神の裏側には、自分を信じすぎるが故に自分を理解しない他人を憎む気持ちが激しく抑え込まれていたのかも知れません。ジキルはエマを本当に愛していたと思います。だからこそエマの存在はハイドにとって脅威だったのでしょう。
ハイドは悪の権化のように一見見えましたが、孤独の哀しみの裏返しのような気がしました。ルーシーへの異常な行動はジキルが意識しないルーシーへの(友情を超えた)愛情の歪んだ発露なのではないかと思います。ジキルがそうしたかったわけではありませんが、異様な形で発達した愛情のもとはジキルの感情に発しているのだと思います。

人間には善人、悪人が存在しているのではなく、誰しも善なる部分と悪なる部分があり、それが常に内面で戦って社会生活を営んでいます。
誰もが自分と合わない誰かを攻撃し、自分を守り、そして自分肯定を続けなければ、長い人生で生きていくことは難しいと思います。人間は決して一人として同じ人はいないのですから。
それを意志の力で愛にしていく人は稀です。ですからジキルの弱さとハイドの憎しみは人類共通の苦しみであり、悩みであり、痛みだと思いました。

「ジキルとハイド」という作品の素晴らしさは、特にラストにあると思います。悲劇的な内容ながらも、最後エマの愛によってジキルは己を取り戻して死んでいくさまは、哀しみの中にも人間への信頼と希望を感じさせます。ジキルは自分の生を閉じることによってハイドを消し去りました。その選択はエマにとってもジキルにとっても苦しみだったと思いますが、誰の手でもなく、自分自身の手でそれを行ったということが作者の人間へのかすかだけれども強い信頼と、愛の強さを信じる気持ちの表れではないかと思いました。

この作品は優れたエンターテイメントであると同時に、強いメッセージ性をわかりやすく呈示していました。私にとってスンウ君が演じたから、ということと同じくらいこの作品と出会ったことは喜びでした。
[PR]
by yumi-omma | 2006-03-23 11:24 | チョ・スンウ